登米市を巡る~登米巡り(とめぐり)~ 歴史編
登米市のアウトドア情報を掲載する本サイト。
周辺のアクティビティが少なくない?
ということで、登米市のあんなところやこんなところを紹介します。
第3回となる今回は【歴史】です。
今回は登米市縦断なので近場のキャンプ場はございません(笑)
登米市にも当然ながら歴史があります。
実は登米市には、葛西家の領地と伊達家の領地の境がありました。
ところが、豊臣秀吉が小田原城を攻めたころ、全て伊達家の領地になってしまいました。
前回紹介した登米町は、葛西家の城下町から登米伊達家の城下町に変わりました。
そんな歴史のある登米市のあまり知られていない歴史スポットをご紹介です。
1.丸山権太左衛門の墓
市内某所にあるお墓です。
眠っているのは第3大横綱、丸山権太左衛門。
市内に銅像も建てられている、郷土の誇りです。
この日は、なんと、丸山権太左衛門の子孫にあたる方に、お話を聞かせて頂きました。
2.伊達小次郎君の墓
またまたお墓で恐縮ですが、こちらは伊達小次郎君の墓。
誰かといえば伊達政宗の弟です。
謀反を企てたことで政宗に手討ちにされたうえ、七代にわたる勘当を言い渡されます。
実際に供養会が営まれたのが七代後のことだといいますから相当です。
(謀反人ですから当然ですが)
ちなみにこちら、立地がなかなか大変なことになっておりまして、
ココが入り口です、ここから山の中をしばらく歩いた先にあります。
結構登るそうで、ついた頃には息も絶え絶え、写真を撮り忘れそうになったとか・・・。
3.登米市歴史博物館
最後は登米市歴史博物館。
登米市の歴史を網羅的に紹介した博物館です。
場所的には伊達小次郎の墓からは登米市を縦断してきた感じです。
距離にして約20キロ。登米市意外と広いですね。。。
さて、こちらの書状、政宗直筆の書状ですが、何が書いてあるでしょう。
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なんと。
「明日、朝に会いに行くっていってたけど、二日酔いで調子悪いから夕方に行くね」(意訳)
と書いてあります。
えぇ。。。。
そんな政宗の意外な一面が見られる?書状があります。
ちなみに、写真撮影ができるのは一部の空間だけなので、ご訪問の際はお気を付けください!
【歴史】コースのご紹介でした。
今回紹介した以外にも、登米市は色々な所に色々な歴史があります。
登米市へお越しの際は、ぜひ色々な所をご訪問下さい!
早いもので次回が最終回【観光】編です!